子供のころアルバイト その36

学校から帰ると窓からランドセルを家に投げ込んで
 遊びに出る。 その頃の親は間違っても勉強しろとは
言わない。 狭い家にいると親のセリフは五月蠅いから
 外で遊んで来い。 駄菓子屋とかがあるが小遣いなど
子供にやれるところはない。 一番の小遣い稼ぎは街の
 川沿いに戦時中の航空計器を製作する「富士航空計器」
現在のCanon 隣に北辰電気ここも軍需物資 それに
 ベアリングの日本製工などは米軍爆撃機の格好の目標だ
その焼け跡にガキ大将に連れられて侵入して 銅(あか)
 真鍮 砲金 など高価な非鉄金属を掘る。 これを
現在の久我原の登坂の山沿いに 第三国出身のバタヤの
 あって 皆で手分けして集めた金属を台秤で計って
幾らかの小遣いを均等に分け その小銭をもって近くの
 貸自転車へ 親も子に小遣いなどやれぬから 子供は
自ら働いて自立していた。


6ヶ月ぶりの「焼き肉」 食いっぷりの良さは凄い
 自分たちの若い時もそうだったのかなと話した。

年寄り二人じゃ味気ない。 普段は寝てる時間に
ノンアルコールのビールはテンション上がって
雄弁になるから人間の脳は単純にできてるな。
 
 


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