二人の顛末 その39

旭吉は たしか俺と付き合い?ずっと貧乏だと思っていたが
 60歳くらいになって突然現れて 名古屋なんたら大学の
学生食堂をやっていたと言った。 中学の同窓会で上京した
 と言った。 泊まってけと言ったら喜んで 夜っぴて
布団並べて子供ころの話や 名古屋へ行った訳や 
 食堂経営の苦労を語って あくる日 同窓会へ行って
名古屋へ帰った。 俺が営業で奈良から和歌山の新宮市に
 抜ける山の中の なんたら会社にクレーム処理に行った
帰りに 名古屋で高速を降り 引き寄せられるように
 旭吉の家に寄ってみるかと 兼ねて書き残した住所へ連絡も
せずに立ち寄った。 名古屋の郊外で オリンピック招致に
 失敗する前に土地の値上がりを見込んで 道路ばっか凄い
広い辺鄙なとこだったが 彼の家は新築の豪邸で まだ若い
 のに身体がキツイとかで食堂を畳んで
              悠々自適な生活をしてた。
矢作川とか言う川に 釣り用の胸まであるオーバーオールの
 ようなゴム製のを履いて 土器の破片を集めちゃ接着剤で
張り付けて なんかこう考古学の博士になって 説明が長く
 飽きて泊まってけというのを断って東名をノンストップで
家まで帰ったけ。。。もう一人の話は明日。。

馬が田畑を耕す働きを感謝する。馬頭観世音菩薩 世田谷から
多摩川を渡ると まず手を合わせる。真っ赤なママチャリを
階下のIさんの娘から貰った。 こいつに乗って ぐるっと
多摩水道橋を世田谷へ土手を遡って多摩河原橋を帰ってきた。

おかあさんは「かきつばた」を根気よく描いていた。 花を
特定したのもiPadを短期間で覚えた。努力する人には勝てない。


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