格差のきっかけ その38

着るものや 食うものが違うなと気付いた。 彼奴の
 親父は 近くの言わば町工場主で 機械加工で
朝鮮戦争が激しくなって それにつれて会社を多摩川に
 寄ったほうに千坪近い工場と豪邸を建て 小学校の
PTAの会長で校庭のあの台上で 長々と口説演説を
 やりやがって夏場など貧乏人のガキほど校庭に倒れた。 
一時は釜山市の一部にまで 米軍・韓国軍は
追い詰められて 我が国も緊張に包まれた。 なにしろ
 対馬列島の高みに登れば戦火が夜空を焼いた。

幼児の時 ジープで米軍の将校と綱島街道を砂埃をあげ
 遊びに行った 米8軍彼らと韓国軍が東シナ海を北上し
仁川(いまの国際空港或る辺り)に強襲上陸した。
 中国・北鮮軍は挟み撃ちになって 急激に
今の休戦ライン 俗にいう38度線まで追いやった。

小学6年生になって 弁当に麦飯なのは 俺と川田のあぜ道
 と東急線を越えて 俺の家の前で「健ちゃん」と 毎朝 
声をかける旭吉と二人だけだ。 あれが格差だと。。

朝でも カゲロウ立って グラウンド・ゴルフへ 帰りは
 モスバーガー 誰かさんが株主で500円券2枚くれたので
俺が特別バーガー カミさんは照り焼きバーガー それに
 クラムチャウダーで昼飯は自腹400円だった。 
陽に焼けた顔が火照る。
 



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