お里叔母さんの話し  その34

寺から橋を渡って右の方に5分も歩くと野毛の及川さんの
 家と 家作の一棟二軒作りの貸家があった。 その片方を
間借りして元活弁屋(弁当屋じゃない無声映画の活弁士)の
 輝吉叔父と里夫婦と長男トシちゃん弟のコウちゃん それに
ユリ子 そこに父と俺が割り込んだ。 なんか寝るのも飯を
 食うのもギュウギュウで早い者勝ちで のろまの俺は割を
食って小さい体を縮めるようにして生き抜いた。

ちゃぶ台を囲んでお里叔母さんの決め台詞は 
 宝くじが当たったら 何が欲しいだ。 一等が100万円で
現在のどのくらいだか忘れたが 当たりっこないと
 腹で思ったが 一応実も蓋もない返事はどうかと幼いながら
考えるふりして う~ん?自転車っていつも答えた。
 歌好きで 並木路子だったか「リンゴの唄」が十八番だった。

気になってた姉の墓参に行った。 寺の坊主は法要とかで
 留守と書置きがあった。 参ったな~と自転車で通りがかりの
おばさんに声を掛けたら さすが深川っ子だろうか ちょっと
 待ってと言われ寺の一軒置いた家に声を掛けてくれた。
その人は偶然にも寺の手伝いをしていたという。 なんかカギを
 表に回っていとも簡単に開けてくれて「しきびと線香」を
出してくれた。 寺の大国さんが昨年亡くなって 息子さん二人も
 若死にしたって。 経を唱えようが迎えは来るか だから
俺たちは幸か不幸か生かされてるんだと。

念願だった「清澄庭園」と「深川めし」食って半蔵門線急行で溝口
 まであっという間だった。 紀伊国屋から岩崎弥太郎へと見事な
名石の庭だった。

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