一衣帯水の隣国は      その32

北か南か知らないが あの街にも戦後になって
 にわかに現れて 何処と戦って勝ったのか知らぬが
戦勝国だと言い出して ぼつぼつと疎開先から帰った
 街の家の玄関を蹴破ったり 
        ドアを夜中にガンガンと叩き
回りやがって この国は まだ警察もくそも
  あったものじゃなくて無法地帯同様だった。

じっと我慢して家に閉じこもって
            嵐が去るのを待つようだ。

もう13人もいたという父の兄弟姉妹 順番も長女が
 お蝶さん(てふ)お豊さん 多分その下がお縫いさん
俺の知る限り 男は貴代次伯父だけ なのに孫三郎って
 もう一人 上にいたことになる。 妹はお里叔母にお福
叔母だけで おはつ婆さんも腹の休まる間もなかった筈
 富次郎爺さんも子だくさんで貧乏この上なかっただろう。

お縫いさんは男運がなかったか 独身を通した。 先行きを
 心配したか養子を貰った。 とりあえずTとして於くが
彼は その戦勝国の子だった その時は成人であったが
 酒を飲むと酒癖が悪く 軒並みに悪さをしてたが奴も
お縫いさんの恩義は残ってたか 俺の家には悪ふざけはしに
 来なかった なんか不思議な感じだった。
あのバラックの家に麻雀に出かけた親父がいないとき 障子に
 穴を開けて突き出したのが リボルバーの本物の拳銃で
姉と二人で驚かしたTに武者ぶりついて俺が腕を噛んでやった。
 
カミさんは 昔の変人の同僚 一人が退職とかで送別会に
 新宿のプラザホテルの中華とか 千葉のBさんと二人持ち
で 記念品とコメントを書くと言ってた。 俺は多摩水道橋を
渡って世田谷の土手を登って多摩河原橋を帰る。
   陽射しが強くてもいい風が吹いて 自転車で走ってきた。

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