「からす」って村の話 その22

幼児の記憶はいい加減で 戦後になって父や4歳上の
 姉に聞いた話とごちゃ混ぜで頭に浮かぶ映像は曖昧で
確信の持てるものではないが この前の震災の時には
 なんか悲しさと侘しさで70有余年を駆け足で遡る。

常磐線のちっちゃな国鉄駅は山側に向いていたが田んぼが
 見渡す限り広がって駅前って言ったって商店も民家も
記憶に残っていないから あったのか無かったのか。

昔の半道ほど原ノ町の方向に戻り踏切を渡り一直線の道を
 ひたすら海の方向へ一里ほどゆく 左側に川が右は田んぼ
の向こうにゆるやかな丘が海に向かって稜線を消す。

この続きは 明日にする。

ここからは近況。。
亡父は野の花が好きで俺と違って水彩画が趣味だった。だから
 田圃に蓮華がぐんぐんと咲き広がって このところは連日
この田圃へ降りて十本ほどを頂いて仏前に供えていた。
 4月14日aguriの社長が オレンジ色の耕運機で数時間で。。
お花畑の蓮華を土に鋤き込んだ。 奥さんに俺が嘆いたら
 自分の屋敷の庭だろうが 畑だろう好き勝手に採る許可得た。


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