記憶を辿る1

6歳の幼児の記憶の曖昧さは当然だが 元住吉の
 進駐軍のキャンプで亡父は米軍人の白人相手の
調髪を収入を得る手段として口を糊してた。

道路は挟んだ小学校をB29の爆撃から守るためにと
 店は強制疎開で学校の周囲をぐるりと平地にする。

疎開先から終戦と同時に父と長男の幼い俺だけ
 東京を目指し 人と身の回りの物資で満載の
夜汽車に乗った。 汽車の網棚に寝かされ顔に
 菱形の跡が残った。

一面焼け野原の上野駅に降り立った。 目には
 汚いなりをした溢れる人々だった。


この地の「のらぼう菜」 炒めると3年も食ってると
 ほんのり苦みが ちょっと糸引くところが癖になる。

ここのオーナーの奥さんが摘んだばかりのをポリ袋
 へ入れてドアノブに掛けてあった。

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