火垂るの墓

 節子は俺と同年配か 終戦の年が5歳で 東京の家を隣の小学校を戦災から

守るという理由で強制的に破壊されて 田舎のない我が家は 父の弟子であり

妹の亭主の遠い親戚とかで常磐線の鹿島という駅から 海に向かって5キロほど

の福島県の半農半漁のむら「からす」へ 遠くに火の見櫓が かすかな潮騒に

左は夏草生い茂り小高い土手で 海にむかって小さな川が音もなく下ってゆくようだ。

  さらに続く

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