横綱の死

家業に見切りをつけ はじめて務めに出た先は社長も含め働く人が
10人足らずの町工場 30歳 あの大阪万博の年だった。

取り引きの接待に使う店が必要と 東急線の駅そばにある「蟹屋」の
Wであった。

そこの長女と社長の再婚式の受付が 北の湖の奥さんになった人だった。

62歳で亡くなったって聞いて 俺も長生きしてる。


生かされているというけど もういいかなと じり貧になるし 痛いとこばかりで
ゆっくりとなにも心配せずに 眠る。  なんか最近は億劫だ。生きてるのが

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